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岡本博のEXCITED!NEWS

2020年5月3日更新

連載 第21回
初めて‘‘A-2‘‘を生産した頃

こんにちは、岡本です。

   

何だか騒々しい世の中になってしまいましたね。テレビを観ても暗い話題ばかり。イライラするからテレビも観ないようにしています。

早く落ち着いた生活ができる事を祈るばかりです。

皆さんはどうお過ごしですか?出掛けられなくてウズウズしている人も多いのでは?

先日田辺と話していたら、自宅待機の人は家の片付けが定番みたいですね。清掃用品がよく売れているとか。まぁこういう時でないとなかなか掃除や片付けなんてできませんよね。そんな事を話していたら事務所の片付けを始める事になり懐かしい色んな物が出てきました。ワシがアメリカを旅していた頃やA-2を初めて作った頃の雑誌を久しぶりに見ました。

この頃はホント楽しかった。アメリカっていう大きなオモチャ箱をひっくり返して色んな楽しい物やカッコいい物を探していた感じでした。すごく楽しかった。映画で観たフライトジャケットを直で見ながらドキドキしたのを今でも覚えています。とにかく毎日がエキサイティングでした。

そんな頃の色々を少し皆さんに紹介しますね。

 

この古い写真はアメリカで放浪生活していた頃のもありました。

 

この雑誌の特集は、まだ日本でフライトジャケットが知られていない頃で、ワシがアメリカで買い集めたオリジナルに興味を持って掲載してもらったもの。

 

1980年前後、マスコミはワシの事を「変わったヤツ」って感じで面白がっていましたね。

 

ワシがフライトジャケットを生産するキッカケになったPOPEYE。

この表紙のイラストはワシが描いたものです。

 

POPEYEの仕事をしながらフライトジャケットやアメリカのおもちゃの事ばかり考えていた頃、「自分でA-2を生産したい」って気持ちが高ぶって自分の力で生産することになったんです。POPEYEの仕事の合間に編集長の石川次郎さんに「ワシ 今度A-2を生産するから、特集で載せたら面白いよ」って話してみたんです。石川さんは二つ返事で「うん 面白い」って興味を持ってくれました。そんな流れで300枚限定で生産する事になったんです。爆発的に売れました。石川さんは時代を見る目がありましたね。「オリジナルを超えたA-2を作ってやる」って身震いしました。

これがワシとA-2との始まりです。

若い頃「変わったヤツ」から始まって今に至っています。今までやりたい事だけやってきました。ワシが作りたいモノを皆さんに楽しんでもらう。

楽しんでもらえてワシも楽しい。ワシの原動力ですね。

改めて皆さんいつもありがとうございます。

今日も春の企画の中で特にデキが良かったカバーオールを着てきました。

先日電話でアメリカ屋の高橋店長と話していたら、「よく売れている」って言ってくれました。

USNのヒッコリーカバーオールの背中にフィリックスのプリントでカスタムしました。

アメリカ屋さんでも販売しています。

是非チェックしてください。

これからもワシが作りたいモノをしっかり作っていきますから、皆さん期待していて下さいね。

今日は朝から家で筋トレして何だか疲れちゃったから早めに家に帰ります。

皆さん、体調にはくれぐれもご注意下さいね。

それでは。


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